1けんの部落問題研究所のQ&A 1/1
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こういうおっそろしい事件をどのように感じますか?矢田事件http://ton.2ch.net/rights/kako/996/996762149.html 1969(昭和44)年4月9日、大阪市教組東南支部の役員選挙に立候補した木下浄教諭の挨拶状が、解同大阪府連矢田支部から「差別文書」と一方的に決めつけられ、玉石藤四郎(筆名・野々山志郎)氏ら推薦人3人が多数の解同員により解放会館に拉致監禁され、深夜まで激しい糾弾を受けた事件。 「解同から「差別者」のレッテルを張られた私は、勤務中の学校から力ずくで自動車におしこめられ、彼らが自由に使っていた市民館に拉致連行、その末に「糾弾集会」なる群衆のなかに立たされ、私と同じく暴力で連行されていた矢田中学の教師二人とともに屈伏を迫られました」 (成澤榮壽編『表現の自由と部落問題』1993年部落問題研究所 p.160~野々山志郎「『長崎市長への七三○○通の手紙』事件と今後の課題」) その糾弾の内容は野次・怒号・罵声・恫喝に満ちており、まさに人権侵害そのものであった。 「(われわれは)差別者に対しては徹底的に糾弾する、糾弾を受けた差別者で逃げおおせた者はない。差別者であることをすなおに認めて自己批判せよ、差別者は日本国中どこへ逃げても草の根をわけても探しだしてみせる。 糾弾を受けてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ、そう覚悟しとけ」 「お前らいつまでたったら白状するのや、お前らは骨のある差別者や、ともかく徹底的にあしたでもあさってでも続いて糾弾する」 (大阪地裁1975年6月3日判決、判例時報782号23頁より) 玉石氏らはのちに解同矢田支部長を監禁罪で刑事告訴(矢田事件刑事訴訟)。 さらに不当な配置転換の取り消しを求めて民事訴訟を起こした(矢田事件民事)。 この矢田事件では、糾弾された教師の自宅が襲われただけでなく、弁護士の自宅までが解同に襲撃され、脅迫を受けた。 一方で、解同はこれを厚顔にも矢田「教育差別」事件と称し、木下挨拶状を差別と認めるかどうかで解同の組織人員の3分の1を排除、この事件を踏絵として全国の各自治体で一斉に「糾弾」という名の犯罪行為を繰り広げていった。 なお、玉石氏は部落出身者の子孫であり、この事件の本質は「部落出身者」対「部落外出身者」という単純な図式の中には収まりきらない面がある。矢田教育差別事件http://ameblo.jp/mkri/entry-10007124523.html...
2010-12-23差別だ差別だ、と殊更声高に訴える者自身の心の中にこそ、差別心は存在するという典型例ですね苛め・差別に関する勘違い http://sky.geocities.jp/dwhsg178/ijimekan.htm...
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